こんにちは!
必死に取り組んだキャリアを手放し、
劇的な体調の悪さを乗り越え、
心穏やかに生活をしている、Shuです。
さて、私、Shuが運営するこのブログでは、
「体験記」を毎週アップしているのをご存知でしょうか?
今日は、その「体験談の記録」を
綴り始めたキッカケ
についてお話ししていきます。
このブログを立ち上げ、
この場でシェアしようと思ったきっかけは、
「ソマチッド」と出会いです。
「ソマチッド」と出会う以前の、
私たち家族は、
ストレスを抱えて、
不安の日々を過ごしていました。
家族が病気を患ったことをきっかけです。
そんな日々を過ごしながら、
家族が病気になったことを受け入れられず、
ずっと改善する方法を探し続けていた、
私たち、家族。
「ソマチッド」は、
出会ったその日から、
小さいけれど確かな変化を、
私たちにもたらし、
まさに、希望の「光」となりました。
そして、今もなお、
そのより光は強く、
私たちの心を照らし続けています。
「光」といえども、
別に怪しい、宗教などの光ではありません。笑
「日々起こる、小さいけれど確実な変化」
それが、
「ひょっとしたら・・・」
という、希望の光となってくれたのです。
父に訪れた最初の異変──腎臓病のはじまり
さて、まず、
私たち家族の心に影を落としたのは、
もう、7年も前のことです。
私の父の、腎臓病。
そして、当時、
私と夫が愛してやまなかった、
12歳になる、愛犬の、副鼻腔癌が判明、
余命3ヶ月宣告です。
父は、元々高血圧症で、
薬を飲んでいたのですが、
ある時を境に、
と訴え始めました。
家族の中でも、
「冷え性」だった、父なので、
私たちも、あまり重く受け止めていなかったです。
当時はね。
今となっては、
(あの頃から、腎臓が弱っていたんだな・・・)
と思い返します。
それから、だんだんと、
足のむくみを気にするようになります。
父が、私の自宅に遊びに来ていた際、
足に目をやると・・・
皮膚は張り詰めて、ぱんぱん。
(ん?これは、今まで見たことないくらい浮腫んでるぞ。)
(リンパに老廃物でも詰まっているのでは?)
と、リンパを流すマッサージを
したりしてあげました。
ただ、私の自宅から徒歩10分程度にある
駅に行くにも、足が痛い、疲れる。
大した距離ではないけれど
歩くのがしんどそうなのです。
その日、父と、久しぶりに、
2人きりで外食だったのですが、
テーブルの向かい側に座っている、
父の姿は、私の記憶の父とは違っていました。
嬉しそうにお酒を飲み、
ご飯を食べ、
饒舌な父の姿がないのです。
(歳をとったのかな・・・・)
(早く帰宅して、ゆっくり休ませてあげよう。)
そう、思った私は、
夕食を早々に切り上げ、
タクシーを拾って帰宅。
そんな日のことを思い出します。
病気が家族の生活を変えていった
その辺りから、
父の体調は右肩さがり。
ある日、
強い吐き気と貧血を訴え
病院で検査をしたところ、
数値が良くないということで、
数日の検査入院。
そこで、
腎臓の数値が悪く、
透析を考えた方が良いと、
医師から、告げらたようです。
そして、自宅に戻った父ですが、
それからまもなく、
背中、お腹が痛いという。
1週間ほど、自分で耐えていたようですが、
ついに、痛みが酷くなり、
病院へ。
診断は、帯状疱疹。
ただ、腎臓の数値が悪いので、
お薬を飲むこともある程度制限されます。
この頃には、
すでに、食事制限もかかっていたので、
どんどん痩せ、
顔には血の気もなく、
痛みに耐えながら日々を過ごしている
と母から、報告を受けました。
受け入れられなかった現実と、家族の葛藤
その後、まもなく、
透析を開始する流れとなったわけですが・・・
ここまで来ると、
やっぱり一緒に住んでいる、
母と、弟には
かなりの不安とストレスが
かかっているようでした。
数日おきに、
私のところに電話が来て、
その日の出来事と、
ご飯の調整が大変であること、
腎臓病向けの食事の献立、
栄養素計算しながら、
ケアを毎日するのは、
しんどかったことでしょう。
離れたところに住んでいる、
私には、話を聞いてあげることしかできません。
父の状態によって、
病院に送り迎えをしてくれた、
弟にしても、
彼自身、幼少期から
アトピー性皮膚炎を患っており、
それは酷いものでした。
大人になって、
多少は良くなったのですが、
それでも、
やっぱり、ストレス等で、
痒みが強くなったりと、
それは、それで辛そうです。
「父が病気で不安」
ってだけでも、
なかなかの心労なのに、
– 食事の制限。
– 身の回りのケア。
– いつ何が起きるかわからない。
家族の中に、
病気の人がいると、
こんなにも
ガラッと生活が変わるものなのか・・・
希望を奪って行く、医療の知識
そんな、
ストレスに加え
父の透析が開始されると
食事、水分制限
長い透析の拘束時間と、体調の悪さ
そんな、
新たな負荷がまっていました。
そんな日々と、
拘束の中、
私も、父も、母、弟もが、
それを知るべく、
透析について各々が調べている。
知識が増えてくると・・・
私たちは、無口になっていきました。
なぜなら、
どんなに勉強しても、
「希望」を見出せる情報が
どこにもないから。
調べてわかったことを、
口出すことさえ憚れる思いです。
透析をしているからって、
具合が劇的に良くなることもなく、
じわじわと、右肩下がりは続きます。
また、
透析の副作用と言いましょうか・・・・
父の血管はどんどん脆くなっていく。
血管の中には、血栓が増えていく。
定期的に、血管もお掃除しなければいけない。
最悪は、人工血管にする。
でも、人工血管の耐久性はそんなに高くない。
血栓が多く、いつそれが心臓に流れてもおかしくない。
次々と、
確実に状況は悪化して行きました。
体の老廃物を、自分の力で、
排出できない腎臓病。
だから、透析は必要。
でも、その透析の副産物が多すぎる。
知れば知るほど、
希望を失いそうになります。
それでも、希望を探していた
それでも、
私たちは、
それだけの思いで、
希望を探し続けるのです。
お父さんと楽しく食事をする日を取り戻したい。
父が、旅行に行きたいと思っているから、連れて行ってあげたい。
そんな、7年が過ぎていき、
今から、数ヶ月前のことです。
私は、ソマチッドに出会います。
出会った当初は
なんて、思ったわけではりません。
ただ、
直感的に「気になった」だけ。
そして、その時の直感は、
ソマチッドとの出会いがもたらした小さな光
ソマチッドに出会って、
数日で父にも、
確かな変化が出てきました。
変化の一つ一つは、
大切に、体験記として
記事をアップしていきますが、
どういう変化が起きているのか?
少しだけお見せしますね。
1ヶ月ぶりに、
父と、ビデオ電話で話した時のことです。
画面の向こうに映った、
父は、別人の様でした。
それも、いい方向に。
表情が全く違う。
若返った。
まさにそんな感じです。
その時の、
画面越しの父の表情を
お見せしたい気持ちはあるのですが
プライバシーの観点から、
控えさせていただきます。
その代わり、おでこ・頭部を少しお見せしますね。笑
シミ、しわ、皮膚のくたびれ感がなくなっているの、
お分かりになりますでしょうか?
お見せできなくて、残念ですが、
表情も豊かで、口角も上がり、
すごく元気です。
そんな、嬉しい変化を目の前にして
興奮を覚えました。
父との電話を終え・・・
ふと、7年前のことを思い出します。
癌を患って救うことができなかった
愛犬の事です。
その時に、
ソマチッドと出会っていれば・・・
とさえ、思ってしまいます。
今後、私たち家族に
透析をやめらる。
という結果に辿り着くか、
また、辿り着けるかもわかりません。
でも、確実に、
私たちの日々を、
絶望から希望の日々に変えてくれた、
ソマチッド。
今、私たち家族は、
日々の変化が楽しみでさえある。
このタイミングで、
ソマチッドに出会い、
このスピード感で、
さまざまな体験をさせていただいている。
ここに、意味があるとすれば・・・
それは、この体験を皆さんに共有すること。
そんな思いで、
ソマちゃんライフ(体験記)を綴っています。
少しでも・・・1日でも早く。
必要な人に届くことを願って。
体験記、一覧はこちら👇

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管理人:Shu(しゅう)
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